2015年11月24日火曜日

トリコロールとか、生き方とか

今年は関東は暖かい秋ですが、今日の朝は結構寒くて、明日からは本格的に寒くなっていきそうです。
寒い中、毎日人参を掘らないと。がんばります。

さて、パリのテロの事件の後、フランスに対して弔意を表すとして、FBのプロフィール写真をトリコロールにする機能ができて、このことで賛否両論、テレビもネットも盛り上がってました。

否定的な意見としては、ロシアの飛行機墜落、シリアの日常的なテロは何もしないくせになんでフランスだけやるんや!的なものや、笑顔の写真をトリコロールにしただけで弔意を表すことにならないでしょ、せめて深刻な顔にせい!的なものや、アイスバケツチャレンジはあれをやって寄付をするという行動が伴ってた、これは無い。トリコロールにしたところで何もない、意味ない。

みたいな意見が多かったと思います。感覚ではやや否定的な意見の方が多かったような気がしてます。

ちなみに僕は、自分自身はやらなかったけど、トリコロールの機能には賛成。
良いと思えば、やれば良いと思う。


意味ないって人もいたみたいやけど、気持ちだけでも、気にしているっていう意思だけでも嬉しいと思う。気持ちが前向きになる人もいると思います。
3.11の時、「PRAY FOR JAPAN」のアイコンとかうれしかったし、スペインのFCバルセロナの試合前の応援メッセージはすごく感動したし。
シリアとか飛行機墜落ももちろん悲惨な事件と思うけど、世界一観光客が多いフランスのパリで起きたのとインパクトは違うと思うけどなぁ。これで東京でもあり得るってはっきり実感した人もおおいと思うし。


でも、なによりこの件に関わらずなんですが、やっている人はやらない人に何も言わないのに、やらない人がやっている人に対していちいちケチつけるみたいなのが、なんというか、気持ち悪い。
それぞれ考えが違うのは当たり前なんだからええやん。良いと思う人がやって、やりたくない人はやらない。それでええやん と。



それに関連してもうひとつ。

なにかそんな空気が一歩踏み出すことを躊躇させるような気がしてます。

たまに、「将来どうしよう、やりたいこともあるにはあるけど」みたいな話を聞きます。自分は結構若い時期に農業をすることを決めていて、こういうので悩んだ経験がないのですが、やりたいと思うことがあるなら、絶対できると思って、すぐに小さくやってみるのが良いと思ってます。
1歩踏み出して、2歩目が見えればまた進めば良いと思うんです。そこでダメならやめる。
ググったり、本読んだり、話聞いたり、やってる風なことしてても答え出ない。考えて答えが出るものじゃないとも思うし。

空気を気にしたってしゃーない。

失敗したって大したことない。またやればええやんと。
人生短いし。



若いんだから、
助け合いながら。




おしまい

2015年10月17日土曜日

米田のこだわり

さて、秋になりました。

昨年、尊敬するとある人から「独立して、1年目と2年目はぜんぜん違う」という言葉を聞いていました。

今年になって、確かにその言葉通り、やろうと思うことができる具合がぜんぜん違ってます。要因は作業時間が正確に把握できるようになったことや、地域に知り合いが増えて助けてもらえることも多くなったことなどでしょう。まだ気は抜けないですが、これからの秋冬作、3年目とがんばります。

目指す農場の姿からはまだまだなのですが、約1年半独立してやってみて、こういうことにこだわっていこう、というのが見えてきたので、今回はそんな内容。


将来的には、もっといろいろとやりたいこともあるのですが、ひとまず国内でどこを目指すか、です。



それは、

一、おいしい野菜を作ること
一、身近な農場であること



の2つです。

以下、具体的に



ーおいしい野菜を作る

当たり前にも聞こえると思いますが、今スーパーに並んでいるほとんどの野菜は、重さと見た目で価格が決まります。
「美味しさ」は価格に反映されていません。
なので、農業をして、儲けようと思うと、一番合理的な方法は、虫が食べづらい/つきづらい品種で、重量が重くなりやすい品種をたくさん作る事です。もちろん、それでも国産の野菜の品質は他国に比べてもとても高いと思います。

しかし、農業をして6年、僕の感じる野菜の一番価値は「畑で食べた時のうまい!!」という驚きです。その美味しさの要因は、鮮度であったりであり、栽培する時期、もしくは品種であったりします。それらの要因を、掛け算、足し算しながらお客様にどうすれば美味しい!と、驚いてもらえるか。を、大切にしていきます。

畑で食べる、冬場の美味しい大根は、梨や柿のような味がします。
それは、通常の流通経路に乗って食卓へ届く野菜とは全く違います。通常は農協や市場から、仲買業者が買い、スーパーに行って、物量が多い時にはそれぞれの場所で在庫し、お客様の手に渡ることには収穫してから何週間も経っていることもあります。

今、私は春夏作ですいかを栽培していますが、スイカも一番美味しい時期は「採った時」です(メロンやかぼちゃはとってから数日置いてからのほうが美味しい”食べどき”があります)。スーパーですいかを買っている人が、私のスイカをネットで注文してもらえると採った次の日に届けることができ、スーパーのものより美味しくたべることができるので、スイカはできるだけ直販にこだわって栽培しています。



ー、身近な農場であること

これは、観光農園のようにしたいわけではないのですが、生産の現場に興味がある人が、パッと気軽にこれるような、農場にしたいと思ってます。


TPPも合意され、世界中から様々な食品が、時には安く入るようになって、おそらく世の中は便利になって良くなると思います。個人的にはTPPには賛成しています。農業はもしかしたら大変になるかもしれませんが、安い食品は生活を豊かにするでしょう。
ただ一方で、これからますます消費者にとって生産の現場は遠くなっていくと思います。

私は農業をしていて、「植物って面白いなー」と毎日思っています。小学生だった時に理科の実験で感じたようなわくわくが畑には沢山あります。
それに、自然はコントロールできないもの。という当たり前のことが、農業は当たり前に実感できます。

世の中便利になって、最近は、都会に住んでいると、自然含め人間がコントロールできでていることが普通。になってきている気がします。
天気の長期予報が外れて気象庁が謝罪したり、福島原発にあの規模の津波は絶対来ないと思ってたり、広島の土砂災害が起こった実績があるとわかってたところに住宅が出来てたりします。

100年以上天気のことばかり考えている気象庁だって、週間天気もばっちり当てたことないんです。そんな当たり前のことが農業は体感できます。

世の中が便利になることはとても素晴らしいことですが、人間が奢りすぎないように、自然は人知を超えているって、畑で少し感じれるように、身近であること、誰でもふらっと来れることを大切にしていきたいと思います。




ではまた









2015年9月30日水曜日

ワタミのこと、おしまい

何回かに分けて、更新に時間かかってきましたが、ワタミのことについて書いてきました。


9年間働いてきましたが、振り返って思うことは、

ワタミを選んだことは、とても良い判断だったと思ってます。
そして、ここ数年のブラック報道やネットで書かれていることを見ていて、結構いい加減なもんやな、と思ってました。それはワタミだけではなく他の大騒ぎしている様々な報道に関してもそうなのでしょう。
このことに関してだけではなく、メディアで騒がれていることを元に意見をいうのはやめたほうが良いな、と思います。

実際にそこにいた人、信頼できる人を探して、真実は何か?を聞かないとわからない。
そう思いました。
実際に、ワタミは激務でしたが、当時働いていた人のほとんどは、ワタミに感謝している人が多いです。

そんなことを言うと、宗教などという方もいるようですが、私が見てきた範囲では間違いないと思います。



しかし、ワタミのブラック報道に限らず、安保、原発、オーガニック食材、様々な事例で週刊誌レベルの内容でも刺激のある見出しに過剰に反応し、大騒ぎしてしまう事が増えてきて、何がなんやら疲れる。そんなにあなたに関係あることかと。

明日もこつこつがんばります。

2015年8月5日水曜日

農家の意見発表関東大会 〜農業を始めた経緯〜

先日、農家の意見発表会に行ってきました!

千葉県代表として挑んだのですが、さくっと負けましたー。


新米農家の意見発表かと思いきや、関東ブロックからはみなさん経験ある農家で、おいおいー、と思ったけど、すげー農家がいっぱいいて刺激になったので良しとします!


備忘録的に記録を残しておきます。

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「農家は大変だ。」
「儲からない。」

農家の後継ぎではない私が「農業をしたい」というと、よく言われてきました。変わったやつだな、とか、農業のことがわかっていない、と思われていたのでしょう。

私は2008年に北海道の農業生産法人に入社し、農業の世界に初めて身を置きました。
最初は農業のような大変な職業が自分にできるだろうか。と、不安な気持ちを持っていたように思います。

最初は慣れない仕事で確かに大変でした。
しかし、経験を積むに従い、たしかに儲かりにくい構造ですが「やれることはたくさんある。」という思いを徐々に持つようになりました。その気持ちは今も変わりません。

その後、幾つかの経緯があって、地域を千葉に移し、昨年新規就農をします。
地域が違うと、栽培方法や気候も異なるので、まだまだ勉強をしながらですし、時には失敗もしていますが、農業をする自分の未来に対して、ポジティブに考えることができています。

そんな、私の今に至る経緯を発表させていただきます。



私は、幼い頃から自然がすきで、良く海や山に遊びに行っていました。
兵庫県の加古川市で生まれて育ち、自転車で10分で瀬戸内海があり、車で30分も走ると山があります。釣りやキャンプ、時には素潜りでモリを使って魚を刺して捕ったりもしていました。テレビでも、NHKの「生き物地球紀行」という番組が好きで毎週見ていた記憶があります。
自然が好きなのは、家族の影響だと思います。父親も自然が好きでしたし、3人兄弟だったのですが、みんなそうでした。
そんな自然での遊びは、大きくなるに従って、だんだん無くなってきましたが、高校、大学に進学するに従って、「いつかは農業をやってみたい」と漠然と考えるようになります。そう思ったきっかけは特に思いつかないのですが、自然がすきであったので、何となく「自然の中に身を置いて仕事ができる」ということに憧れていただけだと思います。
大学生の頃には、そんなに意識の高い学生ではなかったですが、農業アルバイトや、農家へ住み込みの研修なども参加していました。ただ、この頃は本当に真剣には考えておらず、50歳とか60歳くらいになったらやってみたいなー、と軽く考えていました。

しかし、22歳のとき「やりたいと思っているなら若い時からやろう」と決めました。
きっかけは就職活動です。大学4年になり、今思えば何も考えず学生時代を過ごしてきましたが、いよいよ来年から何かをしないと行けないよいう状況になってから、ようやくそののような心境に至りました。

当時の自分なりに考えた結果、30歳独立を目標にすることを決めました。
しかし、いきなり農業界には進みませんでした。農業は閉鎖的、と良く言われていたので、最初は別の業界で働こうと思い、当時、外食産業では飛ぶ鳥を落とす勢いのあった、飲食チェーンに就職します。
激務でしたが、店の数字を把握しながら、業績によって給与が連動する仕組みはとても面白く、燃えました。みんな飲食が好きな人が集まっていて楽しかったです。今思うと、成果を出している人が評価されるという環境で働けたことは良い経験でした。

外食は4年勤務することになりました。その後、契約農場であった北海道の農業法人に転職します。
初めての農業で特に1年目は結構きついと思いましたが、社長は若い人に権限をくれる人で新しいことに対して前向きにとらえてくれる人だったので、農業経験が無かった私も多くの経験を積むことが出来ました。そこで、4年勤務した後、千葉へ移り2年間研修して、昨年就農します。


就農する時に一番注意したことは、
*設備投資は極力抑えること
*売り上げの計算できる、経験のある野菜を栽培すること、です。
農業のリスクは天気とよく言われますが、それよりも先行投資型の産業であることと、売上が見えづらいことだと感じていたからです。

今年度は、スイカ、人参を栽培しました。畑もはじめて栽培することでしたし、千葉での経験はあまり無かったので、固い作付けになりました。しかし、出来た野菜はまずまずよいものが収穫できましたし、いくつか販売や栽培の試験も行い良い結果のものもありました。今年度の経験を踏まえて、来年度は大幅に作付けを増加させ、自立した経営を実現したいと思います。

最後に、少し気が早いですが、将来についてです。
農業は後継者がいないとよく言われますが、
若くて能力のある人で農業に興味のある人は沢山いると思います。他産業で働きながらそんな人を多く見てきました。私はそんな人が農業をして活躍できる環境を作って行きたいと思います。
農業がやりたいと思っても、農家に生まれなくては、農業が出来る環境は限られています。理由は幾つか考えられますが、その一つは、多くの経営体が家族経営だからです。
家族経営を否定はするつもりはありませんが、日本では98%以上が実質家族経営とその比率はやや高すぎると思います。雇用されながら農業をすることがなかなか出来ないのです。そのため、農家の跡継ぎでは無い人は、農業を始めようとすると、独立ありきの農業になってしまい、多くの人はとても苦労しています。
今の私には、それらの問題をすぐに解決できるような、能力も実績もないことはわかっていますが、これから徐々に形にできるよう頑張りたいと思います。

私は農家の跡継ぎではありません。
初めに述べさせていただいたように、農業を始める前から今に至るまで、そういうと簡単じゃない、大変だぞ、時には出来ない、などと言われます。しかし、現時点では農業は世の中で言われているほどは大変ではないように思います。また、特別な産業でもない、と思っていて「農家じゃなくても農業は出来る」と思っています。


私は、「農家生まれでは無くても農業は出来る」という実績を地域内でまず作り、世の中の農業がやりたい若者が、活躍できる環境を作って行きたいと思います。今はすこしづつですが、勉強し、自立した経営を目指していきます。


2015年2月8日日曜日

農業開始!〜当麻グリーンライフ〜

入社後5年目に、グループ内の農場に転職します。
いよいよ農業を始めました。

ワタミには、ワタミファームという直営農場もあるのですが、私が働くことになったのは当麻グリーンライフというワタミグループでありながら契約農場のような位置付けの農場でした。

当麻グリーンライフは、北海道の旭川市から車で30分くらいのところにあります。
大きな組織から小さい組織に変わったこと、飲食業から農業へ変わったこと などいろいろと環境の変化から気づいたことがたくさんありました。

ちなみに農業が始めた時の心境は、

農業ができる!という嬉しさ < 農業の実態はどうなんだろう??という興味
だった気がします。

今思うと、当麻グリーンライフで農業をはじめることができたのは幸運でした。
社長は、若い人にどんどん責任をもたせてくれる人だったので、農業経験がない私も年数を重ねると、ある程度責任のある立場で働かせてもらえることができました。

働いていた頃は気づきませんでしたが、農家が法人経営に変更し、農業経験が無い若者を周年雇用することはとてもリスクの大きなことです。日本の農業に後継者がいない大きな理由だと思います。
今の日本では、後継ぎでなくては、給与を貰いながら農業をすることがなかなかできないので、「農業がしたい」と思うと、独立ありきの就農になってしまっています。そんな中、給与を貰いながら、ある程度任せてもらえるまで働けたことは、農業でも独立を目指す上でとても恵まれたことでした。


仕事ハードでしたが、1年目から10町歩、20町歩と作付けできたことはとても良い経験でした。まぁ、当時はものすごい失敗ばかりや、はじめは車にも乗れなかったので農業機械は壊しまくりと、社長/周りの社員にはとても迷惑かけていましたが、、、。

それにしても北海道で社員約15名、有機農業、面積120町歩ともなると、シーズンが始まれば非常にピリピリしていました。私は主に路地野菜の葉物を担当していましたが、年間の作付け本数は100万本以上にもなります。
農業経験数年でこれだけの数量を扱えることに、感謝しながらも、当時はとにかく結果を出すのに必死で、バタバタともがいてました。4年目は未熟ながらも露地部門を任せてもらっていたのですが、結局、露地部門単体では黒字化は達成できず、、、。

4年間働きましたが、ここでの経験はとても貴重でした。受け入れて、また最後は快く送り出してくれた社長には感謝しかありません。
また、ワタミからはグループ内でありながら大きく文化の違う組織だったのも、当時の自分にはとても多くの気づきがありました。



心残りはありましたが、4年で退社し千葉に移ります。
その頃には独立することは決めていましたが、一旦はワタミの直営農場に移りました。



この辺で。では。




2015年1月12日月曜日

ワタミのこと 〜入社経緯と外食〜

大学の時に、すでに農業をやると決めていたので、就職活動も農業系の法人を中心にやっていました。2社ほど内定ももらっていましたが「農業界は閉鎖的」とよく聞いていたので、一旦別の業界で働いた方がよいかと思い、ワタミに入社します。



関西で育ち、北海道の大学に通っていた自分は、ワタミ??居酒屋??という感じで、行ったことも聞いたこともありませんでした。当時、すでに居酒屋チェーンの中で勢いがありましたが、それは関東の中だけで、関東に縁のなかった自分はワタミの事をしりませんでした。

しかし、居酒屋をやりながら農業も始めていたということが気になり、会社説明会にエントリーします。

札幌開催の会社説明会に行った時には、たいして入社するつもりもなく、まぁ行ってみるかという感じで参加、その時に渡邉美樹さんの事をしります。その時は、正直「渡邉美樹、略してワタミか。ださいな。」くらいに思っていました、、、。

会社説明会では、「なぜ働くのか?」ということだけを話されていて、ワタミの業績や仕事内容の事はほとんど話さず、それまで幾つか参加した説明会とは全く違いました。
その話している内容に聞き入ってしまい、というかその会場にいた学生は皆聞き入っていたと思います。出る頃には、この人すげーな、と思ってました。


その後、面接や感想文なんかを何回かやって、担当社員のなんとなく良い感じだったことと、当時、居酒屋は飛ぶ鳥を落とす勢いで出店しており、すぐに店長になれそうだから、経営の勉強になるかなと思い入社を決めます。

当時、農業関係の人からは農業は一回サラリーマンとして働いてしまうとできない。だからやめておいたほうが良い、ということも言われましたが、今思うと、ワタミを選択した判断は正しかったと思います。そのまま、農家の研修に入ってたらと思うとゾッとします。



2004年に入社した自分は、ゴハンという業態の雰囲気が好きだったので、ゴハンを希望してその通りに入社します。
300人くらいの同期がいましたが、ほとんど和民で働いており、当時20店舗弱しかなかったゴハンには30人程度が入社しました。

当時はほとんどの社員が入社後一旦は居酒屋勤務になりました。
私は、ゴハン立川店に配属になります。


店の社員は、店長、副店長、私、新卒同期もう一人の4人でした。
立川北口から徒歩5分くらいの店で、大きな店ではなかったのですが、2フロア90席くらいで、月の売り上げは1000万くらいだったように思います。

入社前から結構ハードと言われていましたが、たしかにそうで一瞬で学生気分は吹き飛びました。
14時に入店し、仕込み、開店準備をして、閉店は深夜3時。閉店作業をして6時くらいに帰る。はじめは休みも週に1日か1日半ありましたが、忙しい時期や、人員が不足しているときなどは休みがない時も普通にありました。

また、研修も早朝に本社で開始されており、5時の始発で行って、7時からの研修に参加し、10時頃に終わって、帰ってから店の仕込みを始める感じで週に一回くらいは完徹、な感じで働いてました。当時は、通常で400時間以上働いていたと思います。

新卒で入社した同期は一年で約半数になりました。

ブラックだ!というと確かにそうかもしれませんが、当時はベンチャーの勢いのまま拡大していたという感じで、それをきついというよりは、熱い人たちが多く、ゴハンという業態を自分たちが絶対に立ち上げるという一体感があり、充実していました。自分たちがコミットした数字は絶対に守るという執念と、当時のリーダーに対して、この人の為に、という気持ちは社員全員が共有してもっていた気持ちだったと思います。会社の業績に関してもオープンで、数字を見れたことも勉強になりました、また完全に実力主義/成果主義だったこともモチベーションになりました。

ただ、この後ゴハンは業績が伸びずに縮小していきます。私は、将来は農業をすると決めていたので、別の業態へ異動します。
ゴハンのメンバーは、本当にどうすればお客さんが喜んでくれるかずっと真剣に考えていたと思います。情熱をもって仕事をしていましたが、結果業績は伸ばせず、この時に、気合や根性は事業立ち上げるときには必要だが、それだけでは事業を成功させることができないと感じました。

今もゴハンの業態はあり、近年は業績もよく出店を続けています。とても嬉しいです。


当時を振り返ると、社会人としての常識とかは微妙な感じでしたが、当時のワタミを経験できたことはとても良い経験でした。熱くて、人間くさい人が多く、当時を知っている社員は皆そう思っているはずです。私も当時の経験がなければ、独立して、「自分ならやれる」という気持ちはもっていなかっただろうと思います。


結局、1年半後に店長を経験させてもらい、業態はゴハンとわたみん家、合計4年勤務した後、希望して農業部門に異動します。契約農場の北海道の当麻グリーンライフで働くことになります。



つづきはまたこんど。

2015年1月11日日曜日

僕が経験し感じた「ワタミ」

近頃の、マックの異物混入や、ちょっと前のSTAP、ナッツリターンなど、本当にそんなに深刻なことか?と思うほどの報道の仕方にイライラしてたら、意外とそれに同調しちゃう人なんかも結構いて「えぇ!?」と思ったり、


ライブドア事件を経験した、ライブドア社員が当時の社内の事を書いた本、

これ

を読んで、事件当時のライブドアやほりえさんの印象と、今、ほりえさんのいろんな本や事件の内容を理解した上で感じていることって大きく違うなと思ったり、

してます。


そんなことがありまして、ワタミや、渡邉美樹さんに関してもいろいろと騒がれているので、自分の経験して感じたことを書いてみようと思うに至りました。

こんな本も出てるし。


ということで、ワタミ時代のこと。


僕は、ワタミに2004年に入社、外食部門、農業部門と合わせて9年間働いてました

当時は、国内外食は飛ぶ鳥を落とす勢い、入社後は介護事業、宅配弁当事業に参入し、順調に業績は伸びていました。一方で、後半の方はベンチャー企業が大企業になっていく過程はこういうものなのかな、という感覚もありました。

仕事はかなりハードな方だとは思いましたが、楽しくもありました。今は間違いなくワタミを経験したことは良かったなと思っています。

何より良かったことは、若くして責任のあるポジションにつけてもらったことと、農業を雇用されながら経験できたことです。


農業部門を希望していた私は、入社4年後に希望してグループ内の農業法人での勤務していたのですが、そこの代表は農業界では珍しく、若い人に責任を与えて、「やってみろ」という人だったことも恵まれていたなと思います。


そんなことを、もう少し詳しく2、3回書いてみようと思います


それでは




2015年1月2日金曜日

2015年 新年のごあいさつ

皆様、新年あけましておめでとうございます

2015年になりました。


昨年は独立して、多くの経験をさせて頂きました。いろいろと、うまく行ったこと、行かなかったことありますが、年間通じて俯瞰してみると、とても良い一年だったと思っています。
皆様には、本当にお世話になりました。ありがとうございます。


さて、今年は、

「とにかくやるで」

をテーマにしました。
結果にこだわってやっていきます。


米田ファームが、
より、おいしい野菜を栽培し、
より、皆様に身近な農場になり、


その結果、世の中に必要な農場になれるように、邁進してまいります。


そして、農業は農家に生まれた人だけができる特別な産業ではなく、農業がしたい人/能力のある人がイキイキと活躍している産業にするべく、少しづつですが環境を作って行きます。


本年もどうぞ宜しくお願い致します。



米田